05JUNE・土

偵察人の目

民 14:1~10ただ、主にそむいてはならない。その地の人々を恐れてはならない。彼らは私たちのえじきとなるからだ。彼らの守りは、彼らから取り去られている。しかし主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。(9)

新204番 みことば聞いて(旧379番 みことば聞きて)

未来に対する不安をぬぐい去ることができない時があります。霊的事実より現実がはるかに大きく心に迫ってきて、自分と環境を見ると、うまくいかない条件だけが目に留まります。このようなときは、どのようにしなければならないのでしょうか。

1. みことばを通してあらかじめ見せてくださること

神様はモーセを通して、イスラエルの民に何回も約束をくださり、なにかある時ごとに、思い起こすようにしてくださいました。そのみことばを信じた人は、現実にだまされませんでした。現実の感覚がない空虚なことを握ったのではありません。神様のみことばをあらかじめ見て、あらかじめ持つ人は、神様が準備されたことをあらかじめ味わって、カナンの地に入る前にあらかじめ征服して、みことば成就を味わうようになります。

2. みことばが生きて動く生活

カナンの地は堅固で絶対に入れないと主張した人々と、みことばをあらかじめ握ってカナンの地に入る準備をした人は違いました。彼らは神様から受けたみことばを現場に持ってきて、実際の生活で味わいました。みことばの中で神様が与えてくださった使命を悟って、今日、私がしなければならないことを見つけ出しました。

今日、私はヨシュアとカレブの位置に立っているのか、他の偵察人の位置にいるのかを点検しなければなりません。持っていることがなくて、背景がなくても、神様がともにおられるならば良いのです。その霊的事実を信じる人は、どんな現場に行っても人々を助けて生かす役割をするでしょう。

契約の祈り神様、今日神様の良い計画を握りますように。私を生かす神様の絶対計画を握りますように。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

インマヌエル教会聖日1部 | 2020.11.29


聖句暗唱_ガラ 2:20

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

聖書通読_Ⅰ列13~15章

六才の子どもが
朝食を食べる前に
昼食を食べる心配をします。
両親がそばにいないからです。
神の子どもである私は、
なぜこのように
心配が多いのでしょうか。

神の子どもであることを信じますか。
それなら、何も心配する必要がありません。
神の子どもには、
何の問題も生じないという意味ではありません。
かえって問題と困難、失敗の経験を通して、
神様は重要な計画を成し遂げておられます。
今日、目の前に来るすべてのできごとと
状況の中で、ただ神様に集中することを
願っておられます。