17SEPTEMBER・木

人にとってもっとも重要な生活

出 36:1~7彼らは、聖所の奉仕の仕事をするためにイスラエル人が持って来たすべての奉納物をモーセから受け取った。しかしイスラエル人は、なおも朝ごとに、進んでささげるささげ物を彼のところに持って来た。(3)

248番 ああうるわしきシオンの朝 (新550番)

聖書は、人間が神のかたちに似た霊的存在として創造されたと記録しています。また、人間にとってもっとも大きな祝福は、福音を味わう礼拝だと記録しています。この事実をよく知っているサタンは、人から礼拝の祝福を奪って、他のことを追って行くようにだましています。それならば、どのような礼拝を回復すべきでしょうか。

1. 荒野生活に勝つ礼拝回復

何もない荒野生活の中でも、礼拝の祝福を回復しなければなりません。神様はイスラエルの民がこの礼拝の祝福を回復するようにと、幕屋を建てるようにされました。幕屋中心に集まって礼拝をささげるようにして、すべての家が幕屋を見て祈るようにしました。神様がくださった福音だけが世界を生かして、礼拝を通してこの奥義を回復できるためです。

2. ただ福音の力を体験する礼拝

神様は荒野の道のりの中で、幕屋を建てるイスラエルの民に、まことの安らぎを得る安息日を与えられました。この安息日の礼拝を通して、完全な福音の力を回復させてくださいました。礼拝は、神様の臨在を味わう最高の奥義です。

神の子どもとして召された私の人生を通して、神様がくださる証拠があります。神様の臨在を体験できる神殿、礼拝を通して答えを確認する神殿、次世代が来て人生を発見して、神様の前で集中できる神殿が必要です。

契約の祈り荒野の道のりを歩む私たちの人生の中で、礼拝がすべてののろい、わざわい、サタンに勝つ福音の力であることを確認する始まりになりますように。

インマヌエル教会 聖日1部 | 2020.5.3


聖句暗唱_イザ 53:5

しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。

聖書通読_エス 3章

荒野

「空っぽでとてつもなく広い野原」になるのか、
私とともにおられる神様の
栄光と力を確認する地になるのか。

「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、
私はわざわいを恐れません。
あなたが私とともにおられますから。
あなたのむちとあなたの杖、
それが私の慰めです。

まことに、私のいのちの日の限り、
いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。
私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。」
詩23:4、6